9月1日 (写真=夕涼み時の京都・河原町から、東山方面を望む)
この夏の旅から。
★一昨年の夏、昨年の冬二回と夏、そして今年二月に続き、友人と餘部鉄橋付近の山陰線めぐり(→詳しくはこちら)。
★七月末に一度行くも、嵐電・叡電の乗り歩きが中途半端に終わっていた京都へ(→先月の成果ともども詳細はこちら)。
まあ、ごく普通の夏の思い出ってところか。
問題は、夏を通して旅行がこの二回なんじゃなくて、両者ともこの一週間以内の出来事だということ。
いくら何でも出かけすぎ。金欠。
9月4日
(写真=自宅から写した地元の花火)
……………夏休みが終わってしもうた。
とはいっても、別に丸々休みだった訳じゃない。
同僚の中には、どうやりくりしているのか、線香を立ててやりたくなるほど姿を見なかった人間もいる。が、少なくとも私の場合は、逃げ足が遅いというか計画性がないというかで、部活に補習、雑談に職探し……と気がついたら色々入っている。おまけに商業科の教員のくせに書類仕事や計算が遅く、しかも間違いだらけ。いきおい、周りが七月中に片付けてしまうデスクワークが八月末になっても残っていたりする。夏休みの宿題を溜めている子どもと変わらない。
ただ、机仕事にしても生徒の相手にしても、授業の時間を気にせず長々と、マイペースでやれる。
あとは、確かに休みは取りやすい。授業がある時期は一日休むなんて無理だ。
…それが「終わってしもうた」という程度のことだ。
実態はその程度でしかないのだが、『先生は夏休みがあっていいねえ』と行く先々で毎年言われる。二十代後半で教職に就いてから六度目の夏を数えたが、風物詩であるかの様に必ずその問いかけはやってくる。
「だって、夏休みの職員室ってガラガラじゃん」
うん、それは確かに。
そこで、上述の様な現実を説明する。と、
「お前の場合は仕事が遅いから『夏休み』が使えないんだろ」
…そのこと自体は当たっているので、なお反論しづらい(笑)。
勤めをしていれば分かることだが、「ヒマだ」ということだけを根拠に何十日も有給で休みが与えられる訳がない。しかも、客が少ないというだけで学校そのものは営業中である。
つまり「職員室ガラガラ」の謎は、客が少ないのを利用して有給休暇を順番に消化している、というのが答え。学期中に丸一日使ったりなんかできないので集中して当たり前で、『夏休み』という特別なお休みがある訳じゃない。
で、出てきて何をするのかだが、さっき書いた様に、休みでも生徒の対応が存外ある(そういう役目から巧みに逃げまくる人も多いが)。これについては、中学や高校で部活をやっていた諸兄には説明を要しないだろう。それから、一日がかりの講習会や研究会のたぐいがこの時期に集中する(全日制の教員と定時制の教員がいるので、学期中だとせいぜい半日しか時間が取れない)。
あとは、お役所や大きい企業にありがちの、無駄に多い書類仕事をこの時期に消化する。なくても困らないと知っている書類を「規則だから」で作らされるのは、賽の河原に石を積んでるみたいで余計に辛い。無給でいいから、その分の時間を好きに過ごさせてもらった方が励みになるし、役に立つ。
…そんなこんなで、たとえば
『月曜=●●方家庭訪問→職場、火曜=職場(早出)、水曜=▲▲・○○の職探しで職安へ、木曜=職場→××方家庭訪問、金曜=□□研究協議会(早出)…』
と、出勤時間や行先が毎日違ったりして、電車かバスの乗務員みたいなカレンダーになることもしばしばである。
「じゃあ、生徒の相手もしなくて研究会とかも行かなくて、その分で事務仕事を早く済ませちゃった人は?」
それでも、有給休暇を使わない限り、出勤するためだけに出勤していなければならない。そういう人間が出てきて何をしているのかを詳細に書くことはできないが、仕事してる人間から見ると非常に煙たい。私がそういうものを見ないで済む様にするためにも、先ほど述べた「無給休暇」が望まれる。
ただ、要件や手続きが複雑だが、人に応じて一定の日数だけ、「仕事場以外で教材研究してよい」というのがある。
仕事場以外と言っても、文字通り教材作りやその下準備が前提なので、たとえばカメラと時刻表を持って出かけていって、
☆「鳥取県地方における鉄道交通の発達と人の流動に関する研究」とか、
☆「祇園祭とその時期における京都市内の交通事情についての資料収集」とか、
そういう使い方は、たとえ私が日本地理を教えていてもダメである。
(注:あくまでもネタで、旅行は休日や休暇で行ってます!)
ただ、上記の様なHTMLページを作成する作業については適用可能かも…(いちおうHTMLは授業で教えてるので)。
実際、少なくとも「教材研究」分の日数は本当に教材作りに使わないと、とてもじゃないが追っつかない(十年間同じ授業をやってていいなら別で、そういう人もいるが)。
そんな次第で、夏休みが何十日ももらえる社会人なんてうまい話はこの世にないのだよ諸君、ハッハッハッ………私も教員になるまで少し期待していたのは内緒だ。
あ、「一人芝居分科会」のI女史からメールだ。げっ、例会今日じゃん!
『…夏休みの間、各人いろいろ考えることができたと思うので、そろそろ発表のことも考えていきたいと思います……先生はいかがですか?』
……………何にもやってねえ。
9月19日
自己紹介に『大阪生まれの横浜育ち』と書いたが、現在も私の実家は横浜市にある。
横浜、というと、小じゃれた丘から港が見える風景や、赤レンガ倉庫に大観覧車といった景色を人は連想するが、横浜「市」は広く、人々のそうした連想に該当する区域はほんの一角だけだ。東京都内が全部銀座通りや新宿の高層ビル群じゃないのと同じ事である。
と書けば見当がつこうが、私の実家付近からは、港どころか海自体見えない。丘や坂道はあるが、それは単に山を切り開いたからで港町とは何の関係もない。あぜ道を抜け、草をかき分けつつ近所の山に登ると、ベイブリッジの支柱のてっぺんだけが辛うじて見える。
仕事や、趣味で書いている文章が一段落ついた、というか行き詰まったので、現実逃避 気分転換にふらりと電車に乗った。が、これといって行先が思いつかず、そのうちに何となく実家のある路線に乗り換え、やがて実家の最寄駅に着いた。
ここから二十分弱ほど歩くと実家である。先ほど『丘や坂道がある』と書いたが、駅から実家へ至る道のりの半分は平坦で、残りの坂道も自転車で楽に登れる程度だ。
「さて」
ふと見上げると、空は、雲一つない秋晴れ。駅前広場の正面には民家と木立が混じった丘がそびえ、そして、その八合目ぐらいに母校が見える。…緑のトンネルから射す木漏れ日、町を見下ろす長い階段のてっぺん……通学路の懐かしい光景たちが美しく思い出され、うまい具合に鞄にはカメラが入っている………。
駅前広場の出口を右に曲がるのが、実家への道だ。だが気がつくと、昔懐かしい通学路をたどるべく、母校めがけて正面の丘を登っている自分がいた。
丘の坂を上がり始める。左上にちょこんと見えるそれらしいのが校舎。
数分後。日射しがいやにまぶしく、ふと気づくと背中に汗の感触が…。
さわやかな秋空に釣られて坂道を登り始めたのだが、日射し、蝉の声、すれ違う日傘姿………あまりのいい天気に夏の暑さが蘇っていた。坂の途中でそれに気づくも、しかし故郷に来たせいか親譲りの頑固が発揮されてしまい、引き返せない私。
ここから通学路。なつかしい木漏れ日の道。夜、他人を勝手に肝試ししたものだ(おい)
反対側の林に住む青大将が、道を渡って校内に現れるのが夏の風物詩。
これで下に海でも見えれば尾道みたいで素敵なんだが…ちなみに登校時が上り。
中腹にある家の名字を取って「●●地獄」と呼ばれる。●●さんいい迷惑。
付近には他にも、同様の命名法により「××地獄」や「□□地獄」といった坂が。
右手の白い建物は病院が移転した跡で、みんなで勝手に「死体置場」と噂していた。
実際には移転した病院の寮を経て、現在は訪問介護ステーション。ここからまた上り。
上り坂を越えると、今度は竹藪ごしに墓地。蛍が人魂扱いされていた。
結局、炎天下を約一時間、山を越えてまた登るという行程になってしまった。おかげで、服は汗だく目はうつろ、実家に着くなり上がり框にへたり込み、家族と犬とをあわてさせた。
…だが、坂道の中には下り坂もあったし、母校から先は若かりし頃に毎日歩いていた道である。このごろ流行りの中高年登山にハマっている母親が笑って一言、
「あんたも年だね」
ううっ………そういえば、一年以上山歩きとはご無沙汰だし、撮影旅行先の歩きもこの数回は平地ばかりだ。おまけに今年、九階建ての職場に移ったのですっかりエレベーターとお友達である。
いかん。ちょっと意識して、坂道や階段を歩く様にせねば。
それはさておき、帰っても仕事ははかどらなかった。
【「近況報告:10月」につづく】