1月1日
写真は、自宅から見た初日の出。ただし去年の(汗)。
十月半ばに「原稿を書くのでしばし間が開きます」と言っておいたら、とうとう年が明けてしまった。冬コミ向けの原稿はそれから半月ほどで終わったのだが、公私とも予想外にせわしく、しばしどころではなくなってしまったのである。
たいへん失礼しました。なじみの各位がこの欄の存在を忘れていないことを、書き終えてからあわてて祈っております………私自身がこの欄など忘れ去っていたことを棚に上げて。
諸々のいきさつから、年が改まる一夜をひとりで過ごした。昔から、実家や両親の帰省先でこの晩を過ごしてきたので、出かけないのは珍しくない。が、横に家族も親戚も友人もいないという年は珍しい。記憶をたぐってみたら、生まれて初めてのことだった。
「なんか不思議だなあ……いいのかなあ」
妙に気持ちが落ち着かず、少しどぎまぎすらしながら日没を見送った。
が、なんのことはない。いざ始まってみれば、いつも通りの静かな冬の晩。
それはそうだ。人間が勝手に作った暦の区切りなのだから、表へ出て、電車が一晩中走っているとか、鶴岡八幡宮や川崎大師の前に行列ができているとかいった事どもに触れない限り、特別な出来事など何もないに決まっている。せいぜい除夜の鐘が聞こえるぐらいだ。
「当たり前じゃないの」
あわただしく仕事へ出かけた同居人が、背中でそう言っていた様に思えた。彼女は普段の年も、年が明ける事など全く念頭に置かず、いつも通り部屋にこもってパソコンを叩くなどしている。そして今年は仕事だ。
…いや、同居人に限らず、この晩を仕事で過ごしている人は大勢いる。それも、たとえばずっと稼働させなければならない工場で、順番にやってくる勤務割の一環として、普段と全く同じ作業を黙々と続ける人がたくさんいる………理屈ではそうしたことを分かっていながら、実際の私は、自分の習い性だけでものを考えていたのだった。なんとも子どもじみた自分。"夜更かしが許される特別な晩"にワクワクするだけだった小学生の頃と変わっていない。
というわけで認識を改め、このところ読み進めている十数巻組の本をいつも通りに開いた。「ものを書く参考に」と思って読み始めた本だったが、これまでは寝る前に斜め読みする程度で、分からない箇所も放っぽらかし。だが今夜は読み方に気合いを入れ、それを索引にしてネットで調べものをしたり、調べきれないことはその旨書き留めたりという作業もし始めた。
そうこうするうちに、昼から食事をしていないことを思い出す。年越しソバ、ということで、乾麺のソバを取り出し、鍋に水を張る。いつも通りに時間が流れるのは当たり前だとは言ったが、正月を楽しむのが悪いと言ってる訳じゃない。除夜の鐘、年越しソバ、しめ飾り、初日の出、雑煮、凧揚げ……ささやかな年越しの風物を見て何とも思わなくなったら、「人の日常」を描く人間としてはおしまいだ。
あとは、茹でてダシを作ればソバが食べられるが、まだそれほど腹は空いていない。しめ飾りを玄関に貼り付け、風呂を沸かして身を清め、すっきりとした頭でふたたび机へ向かう。
……創作活動をしながら、年を越す。考えてみれば、こんなに建設的な年の越し方もまた初めてのことだ。
「一年の計は元旦にあり」
私はその諺を頭に浮かべながら、「来る年はこれまでのノラリクラリじゃなしに、ビシッと直球勝負な作品を書いてやろう、いや、書けるはずだ!」と熱く決意するのだった………。
………というつもりだったのだが、気がついたら寝ていた。
「おはようです!今年もよろしくお願いしますね!」
襖が開く音に仰向けのまま首を向けると、明け方に帰ってくると言っていた同居人の姿が上下さかさまで目に写った。
眠って年を越すというのも、私にとって生まれて初めてのことである。というと何だか新鮮ないい体験みたいなので、言い方を変える。
前代未聞の無意味な過ごし方だ。
冬コミが明けた後に仲間と半分徹夜で騒いだのが敗因だろうか…。
どうやら、今年もたいしたものは書けない様です。
勤勉を誓い疲れて寝正月
【「06年2月」へつづく】